国際コミュニケーション学科に来るくらいだから、みんな昔っから英語が好きだったんじゃないの? という声を高校生の皆さんからよく聞くのですが、意外にも逆のケースも。

「中学校時代は英語が嫌いだったのに、気づけば英語教員の道を歩いてました」という久保田さんは、現在、学科の4年生(卒業後、中学校教員への道に進む予定)。どういう経緯で、どういう転機で、中学校教員を目指すことになったのか、米国留学中の出来事も含め、これまでの出来事を語ってもらいました。

中学校の頃は勉強が嫌いだったって本当ですか?

「実は……そうなんです、笑。高校進学も、なるべくラクをしたい(勉強をしたくない)という理由で、受験勉強をせずに行けるところへ推薦で進学しました。入学先の私立高校では、週2日ネイティブから英語を学べる『英語塾』をやっていたんですが、入塾テストで落ちたくらいでした。結局、『英語塾』の手前の『Pre英語塾(日本人が基礎文法から教えてくれる塾)』に入ることになったのですが、体を動かすことは得意でも勉強は苦手だったので、当時の自分からしたら今の自分が考えられません。

たった一つ、今の道に至る原体験として思い当たるのが、高1の時に家族で行ったグアム旅行。英語もおぼつかない5人家族が、地図だけ持ってレンタカーを運転すること3時間。ホテルに辿り着けず、道に迷ってしまいました。さあ困ったという時に、私がガソリンスタンドで、日本人の先生から習った『道の聞き方』を思い出し、英語で聞いたんです。

そしたらなんと。それが通じた!!!で。相手が説明してくれたことが分かった!!!笑。無事ホテルに到着したとき、普段めったに褒めない父が「本当によかった、藍のおかげだよ」と褒めてくれたんです。飛び上がるくらいにうれしかった。私、家族の役に立ったんだ!って。勉強が現場で活きたという原体験があって初めて、「英語ってオモシロイ!」と思えるようになったんです。その感動は今も新鮮に覚えています。

そこからは大学受験まで、順風満帆に勉強に打ち込めたんですか?

グアムでの経験をきっかけに、英語をちゃんと勉強するようになったら、順位がグッと上がりました。「あれ?私、やればいけるんじゃない?」「おばあちゃんになるまでに英語を喋れるようになりたい」「そうだ!そのために、英語の先生になっちゃえば?」笑。

もともと性格的に人前に立って物事を進めるのが得意だし、学童で教えたり幼稚園児の面倒をみたりもしていたので、まんざら“先生”は自分からそう遠い職業ではないのかも、と。

「なら教員免許が取れる大学へ行こう」。これまでの私なら、大学受験も推薦を選んでいたのかもしれませんが、『これから教員を目指そうという人が、自分が一度も受験を経験してないってのはどうよ』『皆が勉強を頑張っているのに、自分だけラクしようだなんて恥ずかしいな』という気持ちが生まれ、推薦の道をあえて自分から断ちました。

そこからが本格的な受験勉強のスタート。勉強へのスイッチが入ったのはかなり遅い高2後半。成績は下から数えた方が早かった。それまでの遅れを取り戻そうと、楽しかったテニスもやめて、高3になった時には1日7〜13時間を自力学習に割くようになりました。予備校へは行かず、一人でもがく日々。今思えば、もっと受験のコツや傾向を予備校で学べばスムーズだったろうなあとも思うのですが、とにかく一人でやる!と決めていたので、受験のための学習効率から言えば素人も甚だしい無駄だらけな勉強法だったわけですが、『何かに無我夢中で一生懸命になること』を知ったのは、この時だったように思います。

今の久保田さんを見ると挫折知らずかと思いきや、そんなことはないんですね

行きたかった大学は全て不合格になってしまいました。「連日連夜13時間も勉強していたのに、なぜ私は落ちた?」。後から考えればやはりそれは各大学に合わせた傾向と対策を全くしてこなかった“勉強の要領”に問題があったわけですが、その時はもう頭の中が真っ白でした。浪人はしたくなかったので、ギリギリで願書再提出、明星大学に入学しました。

入学当初はかなりの挫折感でいっぱいだったのですが、それはすぐに変わりました。学科の先生との面談でいろんな国の面白い話をたくさん聞かせてもらい、先輩たちからもフィールドワークの楽しさをきき、客員講師の先生にも英語力を褒められているうちに、「学科のメンバーってなんて主体的に生きててカッコいいんだろ!!」と思うようになったんです。「この学科でやれること、めっちゃたくさんあるじゃんっ!」。国際コミュニケーション学科って、学生のやる気さえあれば、それが活かせるチャンスをたくさん用意してくれている学科なんですよね。

アルバイトでお金を貯め、大学2年生の2月には、半期留学の予定で米国に向かいました。

ディズニーチャンネルが大好きだったのと、英語力を最大限につけたい→極力日本人の行かないところへと考え、米国のモンタナ大学を選択しました。

あとで調べて分かったんですが、もし不合格になった大学に行っていたら、留学に人数制限があったので、私は行けなかったかもしれないんです。人間万事塞翁が馬、たまたま明星の国際コミュニケーション学科に来たから、留学にスムーズに行けた。逆にラッキーだったのかもと思えました。

米国での留学生活はどうでしたか?

たくさんのお金と時間を使っての留学なので、かなり前のめりでした、笑。「一人で一匹狼になって、他の日本人とは一切接触せず、必ず英語を短期間でものにして帰国する!」。ところが現実は……現地到着後の孤独感たるや……笑。向こうの大学生の輪の中に入ったら何も聞き取れない。みんなが笑ってる。私はなんで笑ってるのかが分からないのに、とりあえず笑っとく。孤独です、笑。寮生活で、同室の子は米国人。これまた溝がある。

ある寒い日の夜、夜空を見上げながらふと思いました。「ここで私が倒れたら、誰が気づいてくれるんだろう?」。その場で動画を撮りながら、涙が出てきました。「私、ここで本当にたった一人なんだな」って。

到着後、3〜4日経ったら、聞き取りの方は耳が慣れてきました。とりあえず、同じく英語を学びに来ているアジア人留学生の輪の中に入ってみたら、コミュニケーションレベルが易しくなったので、楽しさを感じてきたのですが、それでも最初の1〜2週間は、言いたいことがいえず本当に苦しい思いをしました。

喋ろうと思うと、頭でぐるぐると文法を考えてしまう。ノリで話せば良いのに、完璧主義が邪魔をして、「間違えたら恥ずかしい」という思いが、心から流れ出てくる言葉を止めてしまう。考えすぎってやつです。

気負いすぎちゃったってこと?

それはあったと思います。他の大学から来てた日本人留学生が10ヶ月予定で来ていたところ、私は5ヶ月だったので、時間の重さが違う分とにかく学ばねば!独り言も英語で言えるくらいにならねば!考え事も英語でせねば!日本人の子達とは触れないようにせねば!という感じで、毎日自分と戦っていた、という感じでした。

米国人ルームメイトは土足で布団に寝転がっているし、現地の先生もお風呂にも入らないまま「Good Night♡」。もう、えーっっ!ということの連続なのですが、何か喋りたくても自分は頭の中で文法を考え過ぎて『言葉が出てこない』。しんどかったです。

授業は面白かったですよ。TEDを聞いてそれを題材にディスカッションしたり、日本史のプレゼンをしたり。白河上皇と崇徳天皇の人間関係のゴタゴタをプレゼンしたら、日本人の友人に、あの複雑な関係をよく説明できたねって言ってもらってうれしかったです。

強烈な思い出となったのは、現地でキリスト教団体の1週間のボランティア(障害者の方たちのお手伝い)に参加したこと。農場で卵を集めたり、畑を耕したり、乳搾りをしたのですが、ものすごく貴重な経験になりました。

いろんなことが詰まった留学を今振り返ってみて改めてどう思いますか?

留学ってみんな『英語を学びに行く機会』と思ってますよね。それは確かにそうなんですが、実はそれ以上に、もっと本質的な何かを学べる機会でもあるように思います。私の場合は『自分自身を見つめに行った』という意味合いがあったように思われ、表面的な英語力だけのことではなく、もっと内面的な自分自身の何かが、明らかになった気がしてます。

上手にできないこと、思った通りにならないことが苦しくて、でもそんな弱い自分と毎日向き合わなくちゃいけない。日本にいた時に過剰気味だった自信は見事に打ち砕かれ、自分ができないこと、弱点が明確になった分、いい意味で丸裸になり、そこから再スタートした感じ。私にとっての留学は、自分を熟成させた期間のように感じてます

留学後はどのような大学生活を送ってきたんですか?

2年生の終わりにはインドネシアのスマラン島に、日本語教育のプログラムに行きました。留学効果がじわじわ現れ始めたのは、このインドネシアに自分で探したプログラムで行った時からのように思います。第二言語が英語の人たちと付き合って行く中で、国籍は違っても感情を分かち合うことができ、ホストシスターともめちゃ仲良くなれて、その時に留学の果実を今得ているなあと思いました。

3年生の時にサマースクールというフィールドワークに参加したのも、本当に楽しい経験でした。オンラインに参加した多国籍のメンバーがお互いに意思・意見を伝え合いながら、英語プログラムを作り上げ、それを大学近隣の子どもたちに教えていくのですが、チームで一つものを作り上げていく時の達成感は、かけがえのない経験となりました。

最後に国際コミュニケーション学科を目指す高校生への言葉をお願いします

卒業を前にした今、本当にこの学科と出会えてよかったと、心から思っています。その理由は【学科が自分が成長できる機会をたくさん提供してくれている】から。

学科では留学だけではなく、フィールドワーク、ゼミ、イベントなど、時代に合ったものが仕組みとして用意されています。

留学も実際に行って見れば、滞在期間の長さというのはその人の成長に直結はしておらず、留学に行かなくても取り組み方次第で、国内のランゲージラウンジやフィールドワークだけで、英語がペラペラになる人もいます。

要は学科が用意してくれたチャンスに、自分がどれだけ心を入れられるか、密度の濃い時間を過ごせるかがポイントだと思います。

辛いこと、楽しいこと含めた全ての“経験”は、永遠に消えることがなく、それらは全て未来への糧になってゆく。学科が用意してくれるたくさんのチャンスに乗っかってみれば、新しい自分が見えてくる。少なくとも私の場合はそんな4年間でした。