やってみたいことがある。けれどそれはすぐにではなく、最終的にいつかそこに辿り着ければいい。そんな気持ちで悠然と構え、国際コミュニケーション学科入学→アイルランド留学→民間企業就職を決めた佐藤さんが、半年後の卒業を前にしてどんなキャンパスライフを歩んで来たのか、訊いてみました。

就職が民間企業に決まったばかりとのこと、おめでとうございます。でももともとの夢は公務員になること、だったそうですね

「はい。母が看護師をやっているのですが、いつも正義感と使命感を持って人助けをしている姿に触れ、カッコいいなあと思って育ちました。家でも母がいろんなことを話してくれるのですが、母の仕事で誰かの命が助かっていると思うと、とても誇らしかったです。だから自分もいつか、人助けを仕事にしたい、ならば消防士か警察官かなあと、漠然とした青写真を描きながら高校時代を送っていました。

母は子育てを終えてから40代で看護師の資格を独学で取り、現在はマネージメント業務までをこなしている人なのですが、その母に、就職を前にして自分のやりたいことを話した時、『公務員の年齢制限はまだ先(消防士27歳、警察官33歳)。せっかく留学もしたことだし、一度民間企業でちゃんと働いて社会を知ってから、公務員を目指してもいいかも』とアドバイスを受け、海外赴任などもできる日本通運で働かせていただくことにしました」

アイルランド留学

就職活動でもたくさんの内定を獲得したとのことですが、その目の前の課題に果敢に取り組んでいく姿勢は、どうやって身につけたんですか?

「まず、スポーツをやっていたことは大きかったと思います。小学校の時からずっとサッカーをやってました。高校に入ってからは、新たなスポーツに挑戦したいとバスケットボール部に。全くの未経験だったのですが、負けず嫌いの性格も手伝い、経験を積んできた人たちに絶対に負けたくないと、わからないことは端から監督や経験者に訊いて教えてもらいました。結果、高校三年生の時には部長を努めるくらいに這い上がりました。スポーツをやってるとメンタルが強くなる。終わったことは考えても無駄。さっと諦め次のゲームを頑張るようになります。様々な種類の違う人間たちをチームとしてどうまとめるか、そして人の波をどうやって渡り歩いていけば要領良くいくかのような処世術は、やはりスポーツから学んだ気がします」

アイルランド留学

国際コミュニケーション学科にも指定校推薦で来てくれたわけですが、海外に興味があって学科に来てくれたんですか?

「通っていた私立高校が英語学習にとても力を入れており、ネイティブの先生方も多い学校だったので、年に数回海外の生徒を招いての交流会があったり、留学生を実家に受け入れたり、自然とその素地はできていたのかなと思います。留学はその高校で2週間カナダにホームステイに行ったのが最初の体験でした。当時は全く喋ることができなかったので、ほとんどボディランゲージでやり過ごしました。

その頃から公務員になりたい!と希望が芽生えましたが、母が『これからはグローバル化時代だから、大学でもっと広い世界を見ておくのもいいかもよ』と言ってくれたこともあり、グローバル感覚でものを見れる広い視野を得ようと学科に入学しました。

僕の家から大学までは片道2時間半。5:50分の始発に乗って大学へ行き、授業の他に毎日ランゲージラウンジ(ネイティブの先生が時間交代で常駐し、無料で英会話が学べるラウンジ)に通ってはスピーキングとリスニングを勉強。それが終わってまた2時間半かけて家に戻ったあとは21:00から0:00までローソンで留学の小遣い稼ぎ、という毎日が、僕のキャンパスライフでした。遊び、ですか? それは隙間時間でやってましたが、やはりグローバルな視野を大学生活で身につけるというのが僕の目的だったので、遊びがメインになることはなく、とにかくぼーっとしている時間はほとんどなかったです」

アイルランド留学
アイルランド留学

留学先に選んだアイルランド、行ってみてどうでしたか?

「学科ではいろんな国のチョイスをくれたのですが、自分的にはやはり、人生でそう何回もは行けないだろうな、旅行でも遠くて行きにくい、というところを選びたかった。それでアイルランドにしました。月金でリムリック大学の語学コースに、授業時間以外の残りの時間は、とにかく同じ大学に留学目的で集まってきた多種多様な価値観の人たちと交流することに時間を費やしました。僕に取っての留学の目的は『いろんな人と関わる』ところにあったので、それはそれは面白かったです。同じクラスには、戦闘機製造メーカーの御曹司でアイルランドにプライベートジェットで入国してくるようなサウジアラビア人もいたり、他、アジア人、南米からの人たち、フランス人、イタリア人などもいたので、ディスカッションのクラスではとにかく自分が日本人として考え方を相手に伝える英語力を鍛えられました。

彼らは彼ら。俺は俺。俺は日本人として靴は脱ぐし、緑茶を飲むし、シャワーは夜浴びる。文法うんぬんよりも、自分の考えをしっかり相手に伝えることに、エネルギーを使いました。海外では自分から行動し、自分から発信しないと、相手にされませんからね、そこは日本人としての俺を通すために、一生懸命いろんなことを相手に説明しました。

それでも小さな摩擦でホストファミリーや地元の大学生とぶつかることも出てきました。けど一晩考えて、なるほど、彼らは彼らで考えが違うんだなと一晩考えて自分が納得できれば自ら謝りに行きました。そうすればしたで、相手ともサクッと仲が戻り、より互いへの理解も深まり、さっぱりしたものです。リムリック大学でのディスカッション授業は大変に有意義で本当にいろいろ考えさせられました。“死刑制度について” “パレスチナ問題について” “銃社会について” “香港返還について”など、世界で起きてる出来事を国籍の違う留学生全員で話し合うと言う感じだったので、自分の知識の低さにも気付かされましたし、日本で得ていた情報に偏りがあったなということにも気付きました。自分が日本代表的な立ち位置で意見を求められる場面もあり、またアイルランドの保守的なエリアでは僕がアジア人だということで石を投げられることもあるなど、留学で得たのは単なる英文法と英語力というものを超えた、“モノの考え方”だったと思います」

アイルランド留学
アイルランド留学

大学2年の3月から12月までの9ヶ月間を使ってアイルランドで視野を広げ、帰国後は3年生で学科のスペインフィールドワークに参加、いよいよ佐藤さんは就職活動に入ったわけですが、公務員になりたかった佐藤さんがどういう経緯で日本通運に入られることになったのですか?

「やりたいことは公務員。けれどもう一つ冷静になって、“やりたいこと”もいいけれど“やれること(できること)”から職探しをするのも手だなと思ったんです。せっかく家族の協力も得て留学できたわけですから、それを活かすという考え方で。

そうすると、英語を活かせる、グローバル知識が活きる、さらに希望だった人助けという点で考えると、公務員以外にも、教育産業、人材育成、物流、貿易、商社などが候補に上がってきた。高校生の時には人助け=公務員と考えていたわけですが、物流や貿易だって、その仕事を通じて人を助けてあげられることは山ほどあるってことに気づいたんですね。

日本通運は48カ国に774拠点あり、業務の幅も広いので、日本を支える仕事ができる。直接的ではありませんが、『ものを届ける』という部分でたくさんの人を助けてあげられる。そう思って、就職を決めました。

海外から戻って改めて、日本は『生きやすい国』なんだなと自覚しました。電車が遅れることはないですし、ご飯は美味しいし、水資源も豊か。おそらく生きやすいという意味では世界でもトップクラスかもしれません。そんな国からの発信で、グローバル企業として日本のみならず世界の人たちに貢献できれば、広義では僕の当初のやりたかったことに近い、とも言えます」

アイルランド留学

最後にこれから留学したいという人に向けて、何かメッセージはありますか?

「とにかく、心配は不要。英語のレベルは低ければ低いほど、現地に入ってしさえすれば、逆に『低いから頑張ろう』となります。僕は勉強しないで行ってしまうのもアリだと思ってるんです。そうだと逆に現地で切羽詰まりますからね、むしろ必死になる分、いい効果が期待できます。リムリック大学の授業の何がよかったかって、現地の人だけじゃない、実に様々な人と触れ合い考え方を共有することによって、自分の凝り固まった解釈が氷解し、幅と奥行きが広がり、捉え方が著しく変化するんです。そこが留学の面白いところ。

考え方が違うからトラブルも起きる。でもそれがなぜ起きるのかを考えた時、相手のバックグラウンドから立ち戻るので、結果、視野が広がる。留学から戻ってからの僕は、相手に分かり易くなるよう、ゆっくり話すようになりました。これは、会社の仕事にも役立つはず。数年まずは社会で揉まれて、その先のことはまたその時に決めていこうと思います」