採用倍率の高い公務員試験を見事突破して、この春から市役所への就職が決まったKくん。他にも複数の自治体に最終合格することができたのだそう。「すごいね。」という学科の教職員の言葉に、彼は「国際コミュニケーション学科でのさまざまな経験のチャンスがあったからです。それを相手にうまく伝えることができたから、功を奏したんだと思います。この話が後輩たちの役に立つなら、うれしいです。」
というわけで、早速、話を訊いてみました☆

——まず、国際コミュニケーション学科に入学した経緯を教えてください。
僕は、親戚が米国にいる関係で、もともと海外に親しみはありました。中学1年生の時に、サンフランシスコにその親戚を一人で訪ねて1カ月間滞在しました。その時に漠然と「英語をもっと勉強したいな。」と思ったのが始まりかな。その後、都立高校に入学。親に留学を勧められて興味が湧き、「どうせ行くなら事前にしっかり勉強してから。」というアドバイスがあり、英語の勉強をすることにしました。留学の準備を始めた矢先、予期せぬ事態に。そう、コロナ禍です。そこで全ての計画が白紙に戻りました。
いきなりできた時間を持て余しました。留学に行かずに英語を学べる方法がないかなあと、TSUTAYAへ通ってDVDを借りて英語で映画を観ることに。もともと家に居るのが好きだったので、インドア生活はそれなりに楽しめました。
そもそも、高校1年の時に大学のオープンキャンパスに行くという課題があり、そこで出会ったのが明星大学の国際コミュニケーション学科でした。どこに惹かれたかというと、フィールドワークやグループワーク、さらにはディスカッションなどの多彩な授業。僕はどちらかというと“一方的な講義”が苦手で、双方向での授業に興味がありました。大学進学以外には、和食の専門学校に進む道も考えていましたが、国際コミュニケーション学科の印象が強くて…。その上、「総合型選抜」という今までの経験を活かせる入試方法を知り、これはイケるかも!と受験を決意。自分がこれまでやってきたことを“手作りの紙芝居”にしてプレゼンしました。英語で見た映画の話から、大学で学びたいことや思い描いていた将来まで。はい、もちろん手書きです、笑。毛筆で書きました。高校で書道の授業を3年間とっていたんです。その経験も伝えたかったのと、手書きの方が相手に熱意が伝わるかなと考えたからです。

——入学してどうでしたか?
僕、人と話すのが好きで、よく相手との距離を縮めるのが早いと友人からも言われるんです。そんな僕にとって、高校と違って授業でさまざまな先輩と気軽に話ができたり、一緒に取り組む環境があることがとても新鮮でした。コミュニケーション論の授業の中にも1年生だけじゃない、4年生も混じっているわけです。だから自分が勇気を出して話しかけさえすれば、自分にとって思いがけない視点を学べるわけです。
1年生の時、最初のフィールドワークでベルギーのゲント大学へ行きました。学生にインタビューしたのですが、全く違う環境で育った人と一緒に何かをするっていうのは、毎日が新しい学びの連続でした。これまで自分が作り上げてきた友人関係を超えたところにいる人たちだったんですね。ベルギーは、多民族多言語社会でオランダ語、フランス語、ドイツ語など、小学生から複数言語を話せる人はごく当たり前。訪問先は日本語学科だったので、学生がその環境でさらに日本語も勉強していることに驚きました。

さらに驚いたのは教育制度があまりにも違うことでした。進級できるかできないかは、全て“テストの点数”で決まるそうで、出席も関係ない。“きちんと勉強した人だけが進級できる”ので、できなければ自分で責任を取るのみ。それゆえ、ドロップアウトしてしまう人も多い、リアルな実力主義だそうです。
“一般論”で語るのではなく“自分の意見”を堂々と語ってくる彼らに、「同い年なのに、なんでこうも違う?」と問い続けた毎日でした。
考えてみれば、僕は幼少期からずっと野球をやっていたので、“個人”よりも“集団” としての意思決定の中で動いてきたわけです。学校教育も“集団”。その中の誰かが悪いことをすれば、それは“集団”の責任。そうすると責任も薄まるわけですよね、言い換えれば自分が主体的になって考える必要があまりない。自分がリアルにその責任を背中に感じることが少ない気がしました。
とにかく彼らは、その時の僕からみれば “自立” しているように見えました。自分を振り返った時に、「ちゃんとしなきゃ!」と喝を入れられた感じでした。かなり刺激を受けて、初めて「自己責任」という姿勢を感覚的に理解した経験だったように思います。もっともっと、“海外” の刺激を受けたいと思いました。
——“海外” と言えば、学科には“海外”の人がたくさん入ってきて一緒にプロジェクトを作り上げる「サマースクール」という授業もありますよね?
はい、僕にとっては、実はサマースクールが一番良い思い出になっています。サマースクールに参加するために来日したジョージアとハンガリーからの留学生が、拝島にあるシェアハウスに滞在しました。学生が3~4名でチームを組んで、交互に泊まって生活をサポートするのですが、そこで夜な夜な熱いディスカッションが繰り広げられたことは今も忘れられません。彼らは政治に対してとにかく熱い!それに対して僕らは…笑。同じ20歳ですよ、それでこうも違うんだなって。彼らと話をすることで、海外の人から見た日本がどんどん分かってくるんですよ。一緒に食事作ったり、鎌倉観光したり。みんなコンビニが大好きだから、一緒について行って美味しいお菓子を教えてあげたり。本当に楽しい毎日でした。

ジョージアのチーズパン、ハチャプリを作ってくれたこともありました。僕の誕生日には、留学生が手作りケーキでお祝いしてくれて。サプライズの演出もすごくうれしかったですね。この経験で、とにかく視野が広がったと思います。何よりうれしいのは、あの日々、あの時間を共にした彼らと今もSNSで繋がっているってことかな。先日も来日したハンガリーの留学生と再会しましたよ。
——Kくんの話を聞いていると、学科の授業(プロジェクト)が“楽しいこと” しかない印象を受けるのですが、実際は苦労もあったんですよね?
もちろん大変なこともたくさんありますよ。でも、厳しいことって、自分が成長する要因かなって思うから、そうすると僕は前を向ける。
実際、入学当初に想像していた通り、学科は「講義型」の授業より、グループワークやプレゼン中心の「実践型」の授業が多い。成績評価のポイントも学期末試験以外のところにも十分に置かれています。その分、“大学での日常”にきちんと向き合っていさえすれば、自ずと自分の力がついている。そこは他学部とだいぶ違うところですよね。
——フィールドワークで欧州に行き、国内でキャンパスに留学生を受け入れ、あとはどのあたりに世界を広げたんですか?
まだアジア圏は行ったことがなかったなと、2年生の時にマレーシア・ボルネオ島のフィールドワークに参加しました。実はここでの体験が、市役所職員を目指そうと思ったきっかけのひとつになったんです。

僕ら日本人は、国籍を当たり前に持っていると感じていますよね。ところが、この世界には、その国籍自体を持っていない人がいることをあまり知りませんでした。それを教えてくれたのが、「無国籍集落」で暮らす人々との出会いでした。自国の政府に怯え、大変な生活をしながら日々を過ごしています。医療はおろか、教育さえも国籍がないという理由で受けられない。僕たちが当たり前に受けている公的サービスが、彼らにはゼロ。本当にびっくりしました。その時に生きていく上で必要なことを直接支えることの重要性を感じました。そして、「生活の困りごとを解決しながら、住民の人たちとなるべく近い距離で寄り添える仕事がしたい!」と本気で思うようになりました。そして、公務員を目指すようになりました。だから、市役所の面接では自分が無国籍集落など海外で見てきたことや感じたこと、そこから公務員として働きたいという希望を何の飾りもなく、素直にそのまま話しました。机上や教科書上、またはネット上に転がっている話ではなく、僕自身のリアルな体験からの志望動機なので、やはり言葉の重みとしてその気持ちは届いたんじゃないかと思います。
初アジアでしたけど、アジアはなんか良かったなあ。サバ大学という現地の大学を訪問したのですが、本当にみんな、よく笑うんです。幸せ感にあふれている。そして情に厚い。さらに言えば、困っている人に手を貸すことが日常で、助け合うという精神に基づいて社会が構成されているように感じました。欧米に憧れはあるけれど、人と人とのつながりという意味ではアジアが最高かな。

——就職活動はいつから始めたんですか?
2年生の終わり頃からです。何が自分に向いているのか、広く見ておきたかったからです。民間企業の就職フェアやインターン、説明会にも参加しました。その上で、やっぱり自分は公務員を目指したいと感じ、試験に挑戦しようと決めました。筆記試験のスコアを上げるために、問題集を何回も解きました。夏には、いくつかの市役所でインターンに参加することができ、具体的な仕事のイメージもつかみました。就職センターの方がインターン先の相談やエントリーシートの添削、面接練習なども丁寧に対応してくださり、伴走してくれたことは心強かったですね。
最初からうまくいったわけではなく、序盤の試験ではなかなか受かりませんでした。もう一度自分と向き合い、勉強に挑戦。そして、筆記試験に合格。続く小論文や集団面接、個人面接を2回経て、最終合格を手にしました。第一志望の市役所を志望した理由は、説明会で職員の方が「何でも聞いていいからね。」とオープンで丁寧な雰囲気だったからです。説明会自体が交流の場のようになっていました。一緒に働く人とのコミュニケーションも重視して仕事をしていきたいと思っているので、ココだなとその時にピンときました。
——4年生になってからは就職活動をしながら、フェアトレード長も務められていたと聞きました。
僕が所属している毛利ゼミでは、国際関係論をテーマにしています。その中で「フェアトレード」について学びました。発展途上国の生産者が適正な価格で商品を取引できるように支援する取り組みです。僕たちは大学の食堂で「フェアトレードカフェ」として、チョコレートやバナナなどのフェアトレード商品を仕入れて販売しました。コーヒーは、生産者さんのことを思い浮かべて、買う人に値段を決めてもらい、販売しています。僕は、そこでリーダーをさせてもらいました。

僕は大学に入学した当初、自分がリーダーになるなんて、微塵も思っていなかったんです。リーダーって、カリスマ性があってみんなを引っ張っていけるキャラがある人だとずっと思っていました。ところが、フィールドワークやグループワークを経験しているうちに、周りから「リーダーやってよ。」と言われることがあり、「自分が思い描くリーダー像と自分は全く違うけれど、とりあえずやってみようかな。」と。僕がやるリーダーは、目指す方向を見せてみんなを引っ張っていくタイプではありません。みんなが意見を言いやすいような場作りに専念するリーダーです。無理にまとめようとするのではなく、みんなが自分の意見を積極的に言いやすい環境さえ作れば自然にまとまっていくというのが、フィールドワークの現場を見て気づいた僕の考えです。あえてまとめようとしない。チーム運営はまず信頼関係を作ることから。世界には色々なタイプのリーダーがいると思いますが、カリスマ型にはなれない僕がやったのは、寄り添い型。とにかく皆の話をよく聞き、誰もが意見を言いやすい環境にして、後は流れに任せる。
府中市での「フェアトレードフェス」にも出店させていただいたり、明星高校へ出張授業に行ったりもしました。高校生との交流もでき、さらに学びを深めることができました。この学科の特色は、とにかく先輩と後輩の距離が近いこと。僕らもあえてそんな空気感を作ることを大切にしているので、みんなが萎縮しない。素でいられるから楽しいし、アイデアが出る。それが大きなウリだと思います。
——今が大学生の最後の時期。振り返ってどうですか?そして今は何をやって過ごしていますか?
4年生になってからは、就活と卒論、フェアトレードカフェなどの両立で忙しい日々でした。結局、大学の4年間でサマースクールを2回、ベルギー、マレーシア、東北地方のフィールドワークにそれぞれ参加したわけですが、やはりそこで得たものは非認知能力、つまり教科書からは得られない人間社会の“何か”だったように思います。

振り返ってみるとコロナ禍が終わって、ずっと続けてきた回転寿司店のアルバイトの現場もネパール人やベトナム人など、外国人の方が多くなっていました。彼らに海外での自分の体験を話すと親しくなり、彼らの日本での生活についても聞くことができ、本当に多くのことを学びましたね。同じような経験をシェアすることで、すぐに距離が縮まるんですね。
最後のフィールドワークとして、今年度から赴任された菊池哲佳先生、学科の卒業生でもある矢野デイビッドさんと共に東日本大震災で大変な思いをされたさまざまな人を訪ねました。これも学科の先生方が独自に持つルートで学生と作り上げることができる授業。震災時に情報を発信し続けた仙台のラジオ局や東北大学の研究所を訪問することができ、個人ではできない体験をたくさんさせてもらいました。震災の悲惨さを感じたとともに、災害における行政が果たすべき役割の大きさも痛感しました。
このような学科での経験を次は市役所という舞台を使って、市民の皆様に還元し、さらに成長していきたいと思っています。学科にもまた遊びに来ます!
——人懐こさと誠実さが顔に表れているKくん。今後の活躍にめっちゃ期待しています♪
