大学4年生の那花侑香さん。5人に1人しか受からないという超難関『日本語教育能力試験』に一発合格。
現在“日本語教師”を目指して勉学に励む那花さんに、話を聞きました。
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Q : もともと那花さんは、留学などに興味があってこの学科に入ったんですか?
A : 大学っていろんなことにチャレンジできるイメージがありますよね。私、高校時代はアルバイトや吹奏楽に明け暮れていたので、大学に入ったら何か大きなことをやってみたいなあとは考えてました。そうなると、見えてくるのは留学という選択肢。国際コミュニケーション学科はその選択肢が豊富だったんですよね。英語はそんなに得意じゃないしなあと思いつつも、実際現地に行っちゃえばなんとなるのかなということで、学科に入学した次第です。
Q : 語学にコンプレックスがあった那花さんが、なぜ中国語をやろうと?
A : きっかけは本当に偶然の出会いです。履修登録のやり方がよく分からなくて困っていたら、たまたま近くに座っていた子が助けてくれたんですね。その子が「一緒に中国語やろうよ!」と。英語だと高校の時からの下地次第で仲間から遅れをとる場合があるけれど、中国語ならば大学1年生から全員で同じスタートを切れる。今から始めればいいわけだから、精神的にもラクだなあと。
そして、実際に学科で中国語を履修してみたら、高校で英語を習っていたやり方とは全く違う教え方だったんですね。
「細かい声調は気にせず、とにかく喋ってみよう!」「間違いはあっても、まずは使うことが大切!」「語学は楽しく習得するのが肝!」。
最初は押され気味でしたが、この“楽しさ”や“実践”を優先させる教え方が私にとても合っていたようで、新しい扉を開いてくれました。
きっかけは単なるノリだったのですが、中国語も少しでも分かるようになってくれば楽しいもの。1年生の夏休みには、時間ができた時にHSK(中国語検定)の勉強もやるようになってました。要はハマッテしまったわけです、笑。
学科には授業中SA(スチューデント・アシスタント)さんに訊ける制度があるのですが、そこで出会った先輩がとても褒め上手で。「できたじゃん!」「いいねっ!」と声がけをされているうちに、これはもしや自分も本国(中国)へ留学すれば先輩みたいになれるんじゃないの?と思い始め、1年生の終わりにはHSK(中国語検定)で簡単な日常会話ができるとされる2級に合格することができました。
(ハルピンの雪まつりにて)
Q : なるほど。語学も教えられ方が変わるだけで、英語を苦手と思っていた那花さんのように、やる気に火がつく人がいるってことですよね。
A : 今振り返れば、なんですが、私は“勉強のために勉強をする”のは苦手なんです。むしろ“勉強する目的がはっきりすればエンジンがかかる”タイプ。
高校生までの語学の勉強って、点数や記憶重視でカタチから入るお勉強じゃないですか?本来なら言葉はコミュニケーションの方法論で。けど先に、言葉の知識のみを文法的に頭に詰め込む、というやり方が性に合わなかったんだと思うんです。
でも学科に入学してからは、最初は『細かいことを気にせず、まずは習得した言葉でコミュニケーション』→そこから『なんとなく言葉の構造が感覚的に理解できたら、文法に入る』という順序でのアプローチだったので、ものすごく楽しく思えたんですね。これには自分でも驚きました。
Q : 肩に力が入らない状態で語学をまず大雑把に自分のものにしてから、後付けで文法などを整理していったというわけですね。現地体験などはいつからやり始めたんですか?
A : 2年生になって文法に力を入れた後、夏に10日間、ハルピンの黒龍江大学にFWに行きました。そこでの出来事がまた新しい転機につながったんですね。ハルピンの大学の日本語学科の学生と一緒にいろんなことをしたのですが、中国人の彼らが彼らの発想で話す日本語に「あれ?」とか「どうしてそういう言葉遣いをするのかな?」などと思うようになってきたのです。
訪中前に思い描いていたイメージとは違い、現地の学生は本当にフレンドリーでした。それだけにいろんなことをお互いに喋るのですが、中国語と日本語のチャンポン会話をしていく中で、日本人の私は彼らが使う日本語が本当に気になりだしたんですね。自分の中国語はもちろん頑張るけど、逆に彼らが使ってる日本語について、もう少し勉強してみたいな、と。
で、3年生になったら後期半期で交換留学に来ようと決めました。
(留学先の仲間たちと。一番右側が那花さん)
Q : 面白いですね〜 あんまり先を考えすぎず、そこで出会ったものを一生懸命やっていると自然に次の扉が開いてる感じですね。
A : はい。その時々の興味を突き詰めてみたら、そこにまた別のチャンスが到来、笑。3年生で現地に赴いた半年間は、実り多きものになりました。
留学先である黒龍江大学では、日本人が多く、その他が韓国人やロシア人だったのですが、本来は『中国語を勉強するために留学』してたはずが、彼らから日本語を教えてと言われるうちに、私、気づいてしまったんです、「日本語を教えるのって、楽しい!!!」と。そう、目標が少しずれましたね、笑。
が、好奇心には正直に、笑。現地の日本語学科の授業を見学させてもらったり、日本語学科の学生を相手に色々教えてあげたりするようになりました。
そうすると。日本人の私でも「え?なんでこれはこういう使い方をしてるのかな?」っていうのがどんどん出てくるんです。日本人の私は言葉を感覚で選んで使っているために「なぜ」を説明できない。でも目の前で一生懸命日本語を学ぼうとしている学生には、それを論理的に説明したい。例えば『買って下さい』『飲んで下さい』。これ、テ形と言うのですが、私たちは感覚的に自然に使ってますが、なぜ『買う』の場合は『って』。『飲む』の場合は『んで』。このように色々変化すること自体、多くの人が気づいていないですよね。日本人が気にも留めないようなことを日本語学習者に説明するのは、自分の勉強にもなるし、本当に私にとっては面白くてたまらないことになりました。
心がそこに興味を持てば、ご縁も自然にできるもので、現地で日本語教師をやっている人たちが集まる場に顔を出すようになり、そこで出会った人たちに「日本語教師って本当に楽しいよ」「あなたもやってみたら?」「やる気があるなら就職先も一緒に探してあげるよ」そう言われて、またやる気に火がつきました。これはもう、『私にはこれしかない!』というレベルで、笑。
Q : そうなってくると、自分が中国語を学ぶ時でさえ、どう教えられているか、つまり教授法が気になってきますよね?
A : そうなんです。先生が外国人の私にどうやって中国語を教えるかを観察するのが、また楽しくなってしまって。逆にこういう説明をすれば学生に理解してもらえるんだな、というコツを、そこから掴めるわけじゃないですか。
私が中国語教師からやってもらった方法を逆さまにして、日本語を現地の学生に教えてあげるんです。つまり中国語を自分が教えてもらうことで、逆に教え方のコツを掴んでいっているわけですから、私にとっての語学留学は、単に外国語を学ぶための留学ではなく、言葉を相手に教えられ&教える時のコツを学ぶための留学。みんなとは違う留学になったかもしれないけれど、そこにこそ、自分の立ち位置があるな、と確信したわけです。
Q : それが今につながっているんですね。
A : 帰国してから、プロを目指して日本語教師養成講座に通い始めました。目標がはっきりしているので、何を勉強するにしても楽しくて仕方がなく、暇さえあれば寝食忘れて勉強に没頭しました。
試験はご存知の通り難しく、日本語の文法の変化はもちろんのこと、日本の歴史からビザに関することまで、学ぶべきことは五万とあるのですが、目標がはっきりしていたので、それを達成するためだと思えばすべてが楽しかったです。
帰国後大体1月から勉強を始め、12月に受験。合格した時は本当にうれしかったです。
Q : 那花さんのご経験から、後輩に伝えたいことってありますか?
A : 私は人との出会いに引っ張られるようにいろんな機会を得ていったわけですが、やっぱり少しでもやりたいと思ったことは、思いっきりやった方がいいと思います。やっていればきっとそこからまたなんらかの道が拓けますから。
後輩がこんなことを言ってたんです。
『他人と比較してもなんの意味もなく、比較すべきは過去の自分だ』と。それぞれの人がそれぞれの立ち位置で、今だからできることがそれぞれあると思います。
周りに惑わされず流されず、ひとつひとつ出会いを大事にして歩いていけたらいいですね。
これからですか? 中国の大学で教壇に立てるよう、道を切り拓いていきます!