(前編に続く)ジョージアフィールドワークで学生達のプロジェクトの進行を見守ってきた川又先生はこう言います。
「大前提として、ヒトは個々でもかなり持ち得る文化が違いますが、国際コミュニケーション学科と情報学科とでは、ことさら物事の思考法から感性に至るまで、持っている “文化” が本当に “違う” 。社会に出たら、企業ではそういう “違う” 人たちと組んで、パフォーマンスをあげていく必要に迫られます。その練習を学生のうちに済ませ、人の波を渡り歩くタフネスを身につけてもらいたいというのが本当の狙いです。
“文化” の違い(モノの考え方の違い)は、肌感覚で理解を深めていくもの。だから、どれだけ理屈で説明されても、肌感覚が伴わないと感覚で理解するのは難しい。なら摩擦大歓迎、あえて “違う” 人たちと組んで視野を限りなく広げようよ、というのがコラボの原点です。
恵まれた時代の今は、ネットのおかげで『面倒なもの』からは自ら距離を置くことができます。けれどやはり、『何かを生み出す』行為をヒトが行なう以上、考えの違う人たちと折り合いをつけてやっていった方が、全体的なパフォーマンスは上がるんですよね」
「進行途中は非常に面白く興味深いですよ。これはあくまで “傾向” なのですが、国際コミュニケーション学科は比較的コミュニケーションが得意な学生が集まっているというのもあり、作ったアプリに例え多少のヌケがあっても、まずそれを世に出し、知ってもらって意見をもらってそのアプリをいろんな人にたたいてもらいながら、育てていけばいいと考える。
でも情報学科に集まる学生の思考は逆の場合が多い。部外者に何かを言われる時は、『失敗』を意味→そこで終了ととらえます。考えてみれば確かにプログラムというのは積算でできてますから、どこか一ヶ所でもヌケているところがあれば、それは単なる不良品。職人気質の彼らにとっては単なる失敗作ですから、100%の完成度になるまで、外部には見せずにひたすら探求を続けます。完璧を追い求める職人気質の彼らは質を求めすぎて、そこに締め切りがあったことさえ忘れてしまう。
そうするとどうなるか。アプリの締め切りは迫っているのに、情報学科の学生的には、完璧&質を求めるがあまり同じところで足踏みを続けている。するとある瞬間に、国際コミュニケーション学科の学生が、ぐいっと引っ張っるんです。引っ張らざるを得ない。『もう締め切りが近いから、とりあえずそこでいったん切って、発表しちゃおう!』って話がまとまる。これは企業で言えば、技術者とマネージャーの関係です」
「これの意味しているところは、どちらか一つの思考だと片手落ち、プロジェクトは成立しないということなんです。両方があってはじめて、ことが進むし、動く。お互いに腹の底では相手が理解できなくてどっかモヤモヤしているわけだけれど、実はそれでいいんです。落とし所を互いに見つけたその状態が二重丸◎。世の中、そんなことだらけですからね。むしろつっかかった方がうまくいかない。
という体験を、学生のうちにたくさん積み重ねてもらえれば、多種多様なヒトの間で仕事を進める耐性がつきます。これからも学科の学生の視野を広げるという意味で、学科外の異種組織と、私たちは積極的にコラボしていきますよ。学内の小さな企業組織としての練習です」