「高度経済成長期」。学生にとっては、言葉は聞いたことがあっても、具体的にどんな世界観だったのかは「?」。だって半世紀も前の社会ですから。それをリアルに教えてくれるのが、細谷先生の『映画から学ぶ “その時代” “その社会”』。
教室の画面に、画像粗々な昭和映像が映し出されると、時間は50年分巻き戻し。講義室にはウルトラマンVS怪獣の咆哮(ほうこう・ほえたけること)が響き渡りました。
「みなさんは高度経済成長期と言われてもピンと来ないと思うのですが、僕は『高度経済成長期とは何ですか?』と訊かれたら、間違いなく『ウルトラマンを観ましょう』と伝えます。時代はただ漫然と流れているように感じがちですが、実は “正義” だって、“その時代” と “今の時代” では、全く別物に変化してるんですよ。それはこの特撮ドラマを観れば分かります」と細谷先生。
ウルトラマンという一世風靡した映画が生まれた時代、その背後には、科学・技術信仰、猛烈サラリーマン、山里を切り崩しコンクリート建築のラッシュに湧き、空き地が都市部からどんどんなくなっていくという現象が起きた。
「『ウルトラマン』という物語は、空き地と子供と工事現場、そしてそこに現れる怪獣という文法でできているんです」
▪️ウルトラマンは、科学が自然を制するという【近代】の象徴!
▪️それに対し、怪獣は開発に全力で抗おうとする【前近代】の存在!
つまり、ウルトラマンをよく解析すると単なる悪者と戦うヒーロー映画ではなく、【近代×前近代】つまり高度経済成長期における【科学×自然】の二項対立がテーマとして描かれていることに気付く。時代の要請で開発をしていこうとするウルトラマンに対して、復讐してくる自然が怪獣となってシンボライズされている、というわけ。
「この映像、どこだか分かりますか?」「国立競技場ですか?」「そうです、1964年の東京オリンピックという高度経済成長期の代表的なイベントが行われた場所で、ウルトラマンと怪獣が戦うんです。それはどういうことかというと、時代が向かう先、日本が進む道を邪魔するものはどんなものであっても全て、ウルトラマンの力を借りて殲滅(せんめつ・皆殺しにすること)しようとする。それがまさに高度経済成長期の世界観だったわけです」
開発・技術を礼賛しているように見える『ウルトラマン』にも、それを批判的にとらえる視点がある。
例えば、実相寺昭雄の「恐怖の宇宙線」では、空き地で遊ぶ子供達が、大人のようにウルトラマンを応援するのではなく、怪獣を応援する。
「時代の方向性としてはウルトラマンが礼賛されるはずなのですが、この場合は、空き地という子供の遊び場→精神的な余白を持てる場所が、開発によってどんどん失われていくことが描かれている。これは開発に対するアンチテーゼ、つまり高度成長期は子供にはある種の犠牲を強いたことが表現されています。だから、大人たちはウルトラマンを応援するのに、子供たちは怪獣を応援する。彼らだって大人になれば科学特捜隊やウルトラマンの側につくようになるわけですが、果たして開発や経済的成長によって失われたものはないだろうかと、観る側に問うているシーンであるとも言えるでしょう」
もうひとつ、興味深いシーンを説明してくれた。
「東京の大都市のど真ん中で怪獣がグーグーいびきをかいて寝ているというシーンがあります。モーレツサラリーマンこそが正義だった時代、夜中の1-2時に家に戻るという生活をしていた日本の働き蜂はみな、とにかく『寝たかった』はず。それが、ビルの真ん中で爆睡する怪獣をサラリーマンが見守るというシーンになって映画に織り込まれているんですね」
普段の日常から時代をワープしたところにある世界観を、『ウルトラマン』から読み解くという授業は、意外にも学生たちからは大好評。話は大阪万博の岡本太郎から代々木体育館の丹下健三にまで及び、授業終わりには自分たちの知らない世界を映画を通じて旅した気分にもなれます。「この授業は自分たちでは気づかなった視点を提供してもらえます。その見方に慣れると現代映画を自分でみてももう1階層深く考える習慣がつくため、世の中の見方が広がるんです」と3年生のOくん。
サブカル好きにたまらない授業はある種のリベラルアーツ。サブカルチャーの視点から戦後日本、家族、そしてLGBTQと幅広く扱っていますよ。