現在3年生、つい先日ベルギーフィールドワークから帰ってきた永田さくらさん。
学科事務室に入ってくると、開口一番こんな言葉を口にした。
「本当に行ってよかったです!自分の目で見、体験したことにかなうことなんてないです!」
現在は中学校の教員への道を歩いている永田さん。そのきっかけは高3にまで遡る。
「私はもともと学校が大好き、友達とのおしゃべり大好き。話すツール(言語)に英語が加われば、おしゃべり相手が世界に広がると単純に考え、高校は外国語コースのあるところへ進学しました。和太鼓部に入部し、いつも学生と先生の間を取り持つような立ち回りで。だから先生に叱られることがあるなんて思ってもいなかったのに、ある時、大好きだった先生に不覚にも叱られたんです。それが高3、進路を考え始めた時でした」
『洋楽が好き、Disney Chanelが好き。だから英語をやりたい。ならそれを使える仕事に就く?』 そんな連想ゲームで訪問した専門学校、あまりにも楽しそうなCA職業のムービーを見て、ここでいっかと舞い上がっていたとき。その先生が永田さんにボソッと言った。
「30才、40才になった時、どうなっていたい? 考えたこと、ある?」
当時の永田さんは、わかりませんと言うのが精一杯だった。目先のことしか見てない自分。3-40代の自分なんて遠すぎて想像なんてしたことがない。反抗心だってなくはなかった。『なんでそんな遠くまで考えなくちゃいけないの?』 でも叱ってくれた先生は、まさかのとても信頼していた先生。
「3-40代になってCAしている自分がちゃんと見える?」「……見えません……」
そこで初めて、永田さんは自分の将来を遠くまで、考えることになった。
先生は話をしながらたくさんのヒントをくれた。
「君の長所は揺るがない社会正義を持っているところだよ。それを伝える仕事が向いてるんじゃない?」「君は子供達に、自分が大切にしていることを伝えるのが天職なのかもしれないよ。CA以外の道も考えてみたら?」
先生は具体的な職種を言ってくれることはなかった。けれど、永田さんが自分で気づいた。
(学校が好き。おしゃべりが好き。まっすぐな情熱がある。未来を作る子どもたちに経験を伝えたい。……あ!教員!!)。「教員の道を考えてみようと思います!」
先生に伝えると、先生は一言だけ。「君は必ず俺を越す先生になるよ」
『子ども達に何かを伝えたい、となると、勉強ができるところ+人間力を磨けるところはどこ?』。
教員養成で定評のある明星大学教育学部と、人間性を深められる国際コミュニケーション学科との2択に絞り、最終的には子供達に面白い話ができる自分になれそうな、余白と経験を深められそうな国際コミュニケーション学科に指定校推薦で入学。
入学した年はコロナ禍が始まった年だった。ずっと在宅。おしゃべり好きなのに、誰ともしゃべることがかなわず。
でも意外にもその落胆を救ってくれたのが、海外の学生と議論を交わすオンラインでの授業だった。
「私の学生生活つんだかと思いましたが、オンライン授業をそれはそれでやってみたら、めっちゃ発見だらけだったんです」
学科の授業を通じて、わざわざ現地に行かずとも、たくさんの海外メンバーとオンラインで国際協働ができた。
「face to faceで会えなくても、オンラインで自分の意見を認めてくれたり、意見の交換ができたりしているうちに、これって逆にコロナじゃなければできなかったことなのでは?と思い始めたんですね。なんていうんだろう、置かれた環境を最大限に楽しむ方法を、コロナが教えてくれたっていうか。マイナスだと思っていたものが、実際にやってみたらこれってプラスじゃん!と気づいたんです」
学科の院生として来日していたベルギー人と親しくなったのも、この時だった。
「コロナ禍で寂しい思いをしているだろうから、可能な限り外に連れ出して付き合ってあげてよと、先生から頼まれたんですよ。結果、ものすごく親しくなり、日本を好いてくれている彼女に、いつか私があなたの国へ行くねと、約束しました」
「とはいえ。オンラインって慣れてしまうと、そこで得られる知識が全てだと思い込んで、わざわざ行く必要ってあるのかな?と思っちゃうんですよね」
コロナ禍から2年が経過。やっと海外フィールドワークも再開し、ちょうど単位認定されるベルギー行きのチャンスもやってきた。
「なのに迷ってしまって。実際に行くとなるとお金もかかるし時間もかかる。そんな時に教職の先生が背中を押してくれたんです。『行かなきゃ分からないことって結構あるんだよ、例えば空気感とか雰囲気、とか』って。半信半疑だったけれど、本当にその通りでした!」
「ベルギーの空港に降り立った瞬間『わあ〜っ!』となりました。空気が全く違ってました。湿度がない空気感なのに、雨が降っていて、けれど日本みたいには誰も傘をさしてない。そういう、教科書的知識に乗ってこない情報の一つ一つが新鮮で、本当に来ないと分からないナニカってあるんだなと思いました」
オランダ語とフランス語が公用語として使用されている移民国家。とある駅から表記が変わるのを目にして、言葉にならない感動を感じてみたり。
「向こうの電車って、ほとんどがボックス席みたいになってるんですけど、目と目が合っただけでニコッと笑ってくれるから、こちらもニコッ。そんななんでもない現地の人とのやり取りの中に、なんともいえない人の温かみを感じて。それも来なければ全く分からなかったこと。ニコッの往復の後には必ず『どこから来たの?』。日本ですと答えると、『いい国だよね。ベルギーもいい国でしょ』って会話になる。日本だったら同様のことがあった場合『いいなあ、海外!』ってなるところ、自分の国にも誇りを持ってる人たちにじーんとしました」
訪問したのはベルギーの首都ブリュッセルにあるゲント大学の日本語学科。ヨーロッパの真ん中に、日本を好きでいてくれる人がこんなにもいるのかと、驚いたのだそう。
「雰囲気に常に『あなたもいいよね、私もいいよね』という空気感があることが、衝撃だったんです。だから、海外に行ったのに、逆に日本が大好きになって帰国したことも、想定外でした」
日本で見栄や体裁のようなもの、または集団が作り上げる理想像に至らない自分を気にして、常に周りと比較して落ち込んだりしてた自分がなんだったのかな、と。永田さんはある時、ゲント大学の学生に「あなた、やっと歯を見せて笑ったね」って言われたのだそう。
「“ 笑う” という、たったそれだけのことにでさえ、私は周りを気にしてたのかも。肩の重荷がストンと落ち、自分の素の強さを感じた気がします」
永田さんには、ベルギーの街角での忘れられない出来事がある。高校の時の恩師に教えてもらったギター。異国の地でも、街の中心の噴水前で青空ライブをしてるギタリストがいた。あまりにも上手で聞き入っていたら、唐突に声をかけられた。「君も弾く?」
え? 私、公衆の面前で演奏できるほど上手じゃないと戸惑っていたら、畳みかけるように彼は言った。「一緒にやろうよ」
「音楽に上手いも下手もないよね?自分を偽らなくても良いんじゃない?」 その台詞を聞いて、永田さんは全身に鳥肌が立った、と。
移民大国ベルギーに訪問する前は、知識だけでちょっと理想をみすぎていたかもしれない。実際に行ったベルギーは、ホームレスも多く、スリや犯罪も多かった。日本の移民政策に、勝手に想像していたベルギーの理想をのせて考えていたけれど、実際にその現場を見て考えが少し変わった。多文化の中で暮らすって、こういうことなんだ! 理想だけでは語りきれない部分も、ちゃんと自分の目で確認。日本とはレベルが違う “危ない場所” の空気もチラ見して、肌で学んだ。
毎日が充実のフィールドワーク。「お腹いっぱいになって帰ってきました。成長できた自分を感じます」
永田さんはこれから教職の道一筋。ギターの楽しさを教えてくれた高3の恩師には、ベルギーで出会ったギタリストのことを報告した。
「いい経験をたくさんしているね」と元世界史を教え、自分もあちこち行っていた先生は永田さんを褒めてくれた。
子ども達には大切なことを教えたい。偽らなくてもいい。素のままの自分でいい。
笑顔が爽やかな永田さん。「伝えたいことを伝えたいために、教員を目指します!」