まとまった学費を支払って、欧米留学するのは、王道中の王道。
けれど学科には、マイナー国(ハンガリーやジョージア、ルーマニアなど)に、学費不要(必要なのは、現地の生活費程度)、しかも語学学校ではなく、大学の本科で現地学生と一緒に学べる制度がある(認定交換留学)のをご存知ですか?
「8月から翌年2月までハンガリーの首都ブダペストにいて、必要だったのは渡航費と現地での生活費30万程度。安く行ける分もちろん選抜テストを受けねばなりませんが、それでも今のような時代、金銭的な理由で留学を諦めるくらいなら、もっと多くの人にこの制度を利用して海外に行ってもらいたいな」
そう話してくれたのは、現在4年生の末吉海凪(しいな)さん。現在英語教員を目指している末吉さんのなりたい人物像は、“説得力のある教員” 。ハキハキした切れ味の良いトークで中学時代は学級委員や部長など人をまとめる立ち位置にいることが多かった彼女は、小さな頃から特にこれといった夢があったわけではなく、高校生活も普通に授業を受け和太鼓部をエンジョイしていた。運命の出逢いは高2の時に突然やってきた。

末吉さん 「1人はALTで来ていたメキシコ系米国人の先生。もう1人は若い頃にヨーロッパ諸国を営業でまわり、さまざまな体験を積んでから40代で教員になられた日本人の先生でした。授業中の話が単なる文法の解説にとどまっておらず、英語を“コミュニケーションツール” として捉えて、生徒たちに英語という道具の背景にある様々な世界、広々とした価値観のようなものをたくさん見せてくれたんです。要はそのお2人が、私にとっての“非常に説得力のある大人” だったわけですが、授業中にハツラツと楽しそうに世界を語り、熱心に“活きた英語” を教えようとする姿にとても魅力を感じ、なんかピンと来たんです、私もやるなら『コレだな!』と。急にそこに自分の未来が透けて見えた気がしたんですね」
心に刺さる先生たちと出逢ったことから急にヤル気にスイッチが入った。もともと英語は好きだったところ、目指す照準が固まったことで、さらに目の前の勉強に熱が入るように。高2の時にはスピーチコンテストで銀賞、高3では金賞を取るほどに。
末吉さん 「自分自身に勝つことが好きなんだと思います。大学も近所の大学が良いなと思って探し、サマースクール(近隣の子供に英語を教える活動)をやっている明星大学の国際コミュニケーションを選んだのですが、指定校推薦はあえて蹴って、一般でのAO入試を選びました。とりあえずチャレンジする前は、じっくりたくさん準備する。で、新しいフェーズに向かっていく時には、期待の一切を捨て、最悪を考えてGO! そうすると、ほとんどのことは乗り越えられる気がします。今振り返ればこの時が、いつまでも定まらない自分に決別するためにあえて目標を固定、歩く道筋のランドマークを決めた時だったのかもしれないです」

誘惑はいろいろあるけれど、自分があえて一つに目標を絞ったことで、自分自身の活動の選択がしやすくなった。そのまま教員への夢に直結するような活動をしている明星大学を選択。ところが。入学した直後、コロナ影響で大学の授業は全てzoomになっていた。
末吉さん 「自分は何をしているんだろう?って、正直辛かったです。新入生側も大学側もお互い手探りで不安定。zoomでタイとオンラインで繋いだりはしたけど、肝心要の、自分が目標としていた教員育成への学びには程遠く、毎日が同じところで足踏みをしている感じ。大学に入学はしたものの、オンライン授業は終わるとみんなスッと消えるので、友達らしい友達ができたのは、1年生も終わりかけの頃でした。少し楽しくなってきたのは、2年生になってからですね。やっとオンラインと対面が半々のハイブリッドになり、想像していた大学生活が自分のポケットに入り始めた時期でした」
そして対面が増えるに従って、学科の留学の仕組みもよく知ることに。認定留学は籍を置く大学と相手校とに学費を払う必要があるけれど、学科が創設した認定交換留学は、相手校からの留学生と学科の学生のバーター契約ができているため、渡航費と雑費以外はかからない状態で相手校で勉学に励むことができる。しかも単位として認められるので、留年の必要もなし。なら、学生のうちにできる限りの経験をしたい!と思った末吉さんは、選抜テストの2ヶ月前に渡航を決め、無事合格!3年生の後期でハンガリーに渡ることになった。

末吉さん 「ラッキーだったのは、本来は認定交換留学は2年次のみ可能だったところ、コロナ影響の特例で、3年次での留学が可能になったことでした。選抜テストは、相手国大学で何を学びたいかをwordで2枚分で提出、あとは学科の先生方へのプレゼンでした。合格はしたものの、やっぱり留学前は怖かった。英語はそれなりに頑張ってきて日常会話も問題ないレベルには達してましたが、いきなり現地の大学の英語での授業についていけるのかって、そこは本当に不安でした。
サマースクールを終了した後に渡航することを決めたのですが、3年生になってからは対面授業も再開されたので、毎日予定がパンパン。やっと本来の大学生活に戻り、ずっと待ち望んでいた対面でのサマースクールも3年めでついに実現!この時は10名以上の国際ボランティアをタイやハンガリー、ジョージアなど、英語を母語としない国から迎え入れていたので、英語教員を目指す私としては、本当に勉強になりました。同時進行で教職履修の模擬授業やレポートなどをこなす日々。やっと行く日が近づいた!となった時に、今度は入る寮の部屋がないと、現地から連絡が……笑」
そこで今度は、自らもハンガリーに留学経験がある学科の大石実習指導員の出番。『大丈夫、ハンガリーはちょっと段取りがスローなところがあるから、寮が決まるまでは私のお友達の家に泊めて貰えばいい。ちゃんと連絡取っておいたから、大丈夫、心配しないで』。オフィシャルな寮泊がスムーズに行かなければ、スタッフ個人の繋がりを辿ってトラブルを越えていけるのもまた、学科の強さ。「私の友人のEvaさんのところへ泊まればいいよ!」

末吉さん 「まさに災い転じて福となすで、この泊めてもらったお家、Evaさんとの出逢いが、本当によかったんです。私のハンガリー留学を実り豊かなものにしてくれました。彼女自身も岡山に留学に来ていた経験がある人だったから、私の不安や心配を全て理解してくれて、感謝してもしきれないくらい。現地の頼りになるお姉さんという感じで、お世話になった2週間、いろんなところへ連れて行ってくれました。さらには和食を食べる会を自宅開催してくれたり、友達とのボードゲーム大会に誘ってくれたり、真の人間交流といった感じで、心からの温かな思いやりを異国の地で受けたおかげで、寂しいと思うこともなく済みました。授業が始まったタイミングで大学の寮に移ることになったのですが、むしろ、最初から寮に入らなくてよかった、現地の人と心からの交流ができて本当によかったと思いました。寮に移ってからもEvaさんには話を聞いてもらったりして、精神的にものすごく支えてもらったと思います」
(次に続く)
