(前回に続く。マイナー国への留学に挑戦した末吉さんのお話しです)
寮に入ってからは、土日に遊んでいる暇もないくらい、ひたすら勉強という日が続いた。
末吉さん 「日本からの女子学生2名が先にいた3人部屋に入りました。プライベート?まるでなかったです、笑。ベッドもつなぎ合わせだし、カーテンや仕切りもないから、お互いに何をやってるか、全て丸見え。食べる時も勉強する時もボーッとする時も、プライベートがない生活は、生まれて初めてでした。最初の頃はルームメイトとどう関係を紡げば良いのかその距離感も分からなかったので、1人で自分が作った和食をボソボソと食べながら急に悲しくなり、外で泣いてしまったこともありました。けれどそんな時に、私を慰めてくれるように目の前に小さな猫がいたんです。結局その猫を通じて、見知らぬハンガリー人の学生と仲良くなれた。から、これも災い転じて福となす、かな。子猫ちゃん通じてまた別の出逢いがあったと思えば、辛くはない。そういう時って、自分を思い切り客観視すると、見方が変わりますよね、メタ認知ってやつですかね。
休日にスーパーへ買い出しに行き、数品の和食を自炊し、保存しておいて、ウィークデイはそれを食べて勉強に集中する毎日でした。異環境下で自分を大切にするという意味でも、本ダシとか、和食をたくさん持って行ったのは本当によかったな。慣れ親しんだ味に励まされました。

授業は授業で、自分以外は全てハンガリー人という環境下ではもうアウェイ感が満載すぎて上手に自分を表現することができず、ハンガリー入りして2ヶ月くらいは、クラスメイトと深く話をすることなく、表面的な付き合いにとどまっていました。最初の1ヶ月はbroken Englishでも堂々としていられたのですが、次第に正しい英語を話さなきゃというプレッシャーを自らにかけるようになり、周囲と深い会話をすることを自分で阻んでいたような気がします。そういう時はメタ認知能力を存分に発揮して、素の自分を大切に、自分が自分の最大の味方になってあげることで乗り切りました。
不思議なもので、帰国が迫ってきた12月ごろには私に興味を持って話しかけてきてくれた現地学生をきっかけに友達もでき、いろんな話をするようになったら滞在がすっかり楽しくなってきて、逆に帰りたくなくなくなりました」

もともと、国内にいる間に英語をブラッシュアップしていた末吉さん。高校の英語授業に始まり、サマースクールなどのフィールドワークに参加し、目の前の課題に一生懸命取り組むことで、日常会話には困らないレベルにまでは仕上げていた。ならば、そこから先はどの部分が留学で成長したのでしょう?
末吉さん 「“英語” という部分だけ見れば、確かにもともと全然話せなかったけど留学で喋れるようになったという人よりは、進化の程度が感じられにくかったかもしれません。が、日本でできるところまで勉強した上で留学をした場合に確実にさらなる進化をするのは、以下の3つ。1.長文が読めるようになった 2.ボキャブラリーが格段に増えた 3.発音が良くなった、です。
でも私が声を大にして言いたいのが、留学は、単なる“語学力” よりも、“人間的な部分の成長” の方が圧倒的な価値を持つということです。プライベートがない寮生活は厳しかった。最初はお互いに生活習慣や感覚の違いに『えっ?』となって他人に厳しい気持ちになっていた自分がいたけれど、そのうち『他人の常識は違う→自分には厳しくとも他人には寛容でいよう』となって、次第に訓練されて適応してくる自分がいるんですね。理想は天井なしだけれど、まずは『置かれた場所で頑張る』という訓練をやり続けていると、国や属性を超えた『自分の常識は他人の常識ではない』というごく当たり前のことが理屈ではなく、体感として分かるようになり、それが “また一つ処世術を獲得した自分” というご褒美になって返ってくる気がするのです。それが留学の最大の財産だったかなと思います」

4年生になって教育実習も終わり、今は毎週学校にボランティアに行き、研鑽を積んでいる末吉さん。最後にこれからの展望などを語ってもらえませんか?
末吉さん 「私がなりたいのはとにかく “説得力のある先生”なんです。生徒たちがなぜ英語を学ぶのか、その意味を腹落ちさせてあげて、勉強をする意味を見出してもらいたい。
言語というのはコミュニケーションツール。私の文法が多少間違っていても、ハンガリーでEvaさんとたくさんの人生の話を展開できたように、この道具をちゃんと研いでポケットに入れておくだけで、大人になった時に物事を視る解像度がグンと上がるんです。見知らぬ人と見知らぬ国で意思の疎通ができるお守りになるんです。自分の考えや体験を日本語で語ることができれば、1の出力。同じことを英語でも語ることができれば2の出力。ちゃんと英語を勉強しておけば、少なくとも出力の幅が倍になるんです。と同時に体験も広がる。
第二言語→コミュニケーションツールとしての英語には、少なくとも“正解”がないと思ってます。だから文法が間違っていることを怖がらなくていいと言える先生になりたいんです。考え方を変えれば、間違いはむしろ問題提起をしてくれていること。ありがたいことです。
生徒一人一人の自己肯定感や頑張りを認めてあげられる先生になりたい。何のために英語を学ぶのか、から考えをスタートさせて、説得力を持っていろんな世界を見せてあげられる先生になりたいと思っています」

