いわゆる“普通”とは少し毛色の違う就職活動をしている佐藤もなさんは、ルーマニアへ半期の認定留学に出ていた学科生。
—-もともと英語が身近にある環境だったんですか?
「はい、海外は比較的身近な環境で育ったんです。というのも。祖父が商社マンで7ヶ国語を操る人で、本棚にもいろんな言語の本があり、『おじいちゃんは初めて日本車をアフリカに紹介した人なんだよ』とケニア生まれの母からも聞いていたので、小学生の目から見ても、祖父はカッコイイ憧れの存在でした。その影響もあったのか、英語と地理は本当に好きでした。小6の時にはワンダイレクションなどの洋楽から歌詞を学んだり、祖父の家ではDiscovery Channelや民族図鑑などをよく見せてもらっていました」
—最近卒業後の進路を決めた佐藤さんは、学科の認定交換留学制度を利用して、ルーマニア・ブラショフにあるトランシルバニア大学に半期留学したとのことですが、その前にも留学経験はあったのですか?
「初めての留学は高校2年の夏休みでした。祖母の縁を伝って、当時英国にいた人がいろいろと教えてくれ、イーストボーンという田舎町のELC(English Language Cenrter)に祖父にも手伝ってもらってメールで入学を依頼、日本人が誰もいない環境でホームステイをしました。4週間学校へ通い、残りの1週間は祖母のお友達の家でぶらぶら。到着してすぐ、中国人のハウスメイトが町に連れて行ってくれたのはいいけれど、街中でいきなり「じゃあね!」と放置、笑。 スマホはありましたから、1人でスタバでお茶をし、Googleマップで家に戻るという小さな冒険が、高校生の私にとっての留学のスタートでした。
—ネットで見るとめちゃ高評価の学校のようですが、毎日はどんな感じで?
「ホームステイは中国人学生2名と、私の3名が一緒でした。ホストマザーもとても優しく、作り置きの手料理を食べたり、日本から持参したインスタントラーメンや味噌汁をハウスメイト達と一緒に食べたりしていました。
学校は午前中のみが授業で、ドイツ、ロシア、スペイン、フランス、アラブ圏、中国からの学生が集まってきていました。内容は中1レベルくらいだったかな。私はとにかく、『大好きな祖父が見てきた風景を自分も見たい!』という気持ちで行ったので、英語がで会話ができることによって視野が広まること=目標に直結することがとても楽しい毎日でした。
留学先で最初に思ったのは、『あれ?コミュニケーションに案外文法って関係ないじゃん?』。これまで日本の中学校高校で文法的な誤りを気にしてしまうがあまり積極的に話せなかった私は、この発見はとても大きかった。文法が多少間違っていても物怖じしない積極的な自分になっていき、『どの言語を喋るかによって性格も変わるんだなあ』ということを、体感しました。日本語を喋ってる自分は、静かで控えめ。でも英語を喋っている自分は明るくてダイナミック。日常会話ができるようになってからは、本当に帰国するのを延期したかったくらいです」
—そこから明星大学の国際コミュニケーション学科までの道のりは、どうだったのですか?
「いわゆる“勉強”に関しては、受験から高1で燃え尽きてしまっていたので、大学受験に関してはどうやったら勉強しないでも入れるか?ということを一生懸命考えました、笑。 そうなると“AO入試を実施している(勉強はしなくてOK)” “留学ができる(しかもお金がかからない認定交換留学がある!)” “英語をたくさん学べる” という路線。そこから探し、明星大学の国際コミュニケーション学科に出逢いました。大好きな祖父にも英語でのプレゼンの内容作りに力を貸してもらい、10月には一足先に進路確定!
高3の時にはALTの先生が英国と米国から来ていたのですが、その人たちと話をし『どういう人になりたいの?』『どんな人生を歩みたいの?』ということをよく訊かれました。自分を探っていくといつも行き当たるのは『祖父が見た景色と同じ景色を見たい。祖父のように世界中を旅したい』という気持ち。そこにブレはありませんでした。そして高3の春休みに、学校主催の語学研修1週間(オーストラリア・クイーンズランド大学)に参加。その頃には自分が英語で生きていくという指標がかなり見えていたような気がします」
—佐藤さんが入学した年は確か、コロナスタートの年でしたよね?
「そうなんです。結局、大学入学を心待ちにしてくれていた祖父は、AO入試を手伝ってくれた後に体調を崩し、私の入学を見ることなく天に旅立ちました。その直後からコロナ騒動スタート。私の場合は、たまたま12月のAO入試合格者の懇親会で、対面での友人と言える3人の同級生がいたので、人間関係も心強かったですが、それがなかった一般入試組は最初からオンラインでのスタートだったので、本当に大変だったと思います。それでも先生方がブレークアウトルームをたくさん作ってくれたので、コミュニケーション英語の授業などはとても楽しかった。大好きだった祖父の家から授業を受けていました。オンラインなら場所も問いませんから、そういう意味ではよかったです」
(次に続く)