(前回に続く)
—2年生になったらオンラインと対面が半々になったんですよね?
「はい、そのハイブリッドは逆に大変でした。1コマめがオンラインでも2コマめが対面だったら、1コマめの前に大学に到着している必要があり。楽しみにしていたサマースクール(大学近隣の子供に英語を教えるワークショップ)も、プログラムをオンラインでゼロから構築。対面よりもインパクトが薄いオンラインで、どうやったら子供を飽きさせずに済むかなど、課題が満載でした。サマースクールではチームの中心で活動し、バイト先では新人教育を任される立場でした。どうすれば効率よく作業が捗るかなどを考えながらプロジェクトを動かしていくのは、とてもやり甲斐がありました」
—そのあとルーマニアへ認定留学を決めたのは、何がきっかけだったのですか?
「あるとき、父から『彼女は耳がいいから英語も期待できるとおじいちゃんがよく言っていた』という話を聞かされました。その言葉に励まされてTOEICを受けてみたら695点。田中先生から『留学に行かない?』と勧められたのがきっかけです。認定交換留学は経費が安くて済む分(授業料は無料、寮費と生活費とフライト代のみ要)、4名くらいの枠しかない選抜。でも無事クリア!
それまでの体験から、『行けばなんとかなるでしょ』『別に死ぬわけではなし』『やってみなけりゃわからない』というマインドが形成されていたのに加え、家族がグローバル視点の持ち主だったので、『どんとこい』的な適応力&受容力が自分に備わりつつあったのかもしれません。
コロナで中止になっていた留学自体はその年の8月に解禁になったため、3年生の10月から2月まで、半期で留学しました。大学付属の語学学校などへの留学ではなく、大学本体に入り、ルーマニア人学生と一緒に、社会学&コミュニケーション学の授業を英語で受けるスタイル(ルーマニア語での授業はゼロでした)。全て英語ベースだったので、ルーマニア語は習得してません。
週5日で毎日2コマ(4時間程度)。学生はみんな英語を話すのでこちらも全く問題なし。現地学生は同時通訳レベルで英語を話せるので、言葉において困ったことは全くありませんでした。教授は英語力にばらつきがあるので、それぞれの教授が工夫をしてスピーキングが苦手な教授はパワポを使って説明する、という感じでした。アジア人が少なく、いても中国人くらい。課題もほぼないので、勉強は授業内で終わり完結するといった感じです。トランシルバニア大学での授業は『みんなで作り上げる』感じがあります。だから私も授業を作る一員になれた充実感がありました。学外授業がとても面白かったです。ドラキュラ映画フェスやいろんなワークショップにも参加しました。
放課後はモールへ行ったり、映画を観たり、レストランで友達と喋ったり。ブラショフはとてもゆったりした街。ゲーム機のスイッチや、呪術廻戦や鬼滅の刃が英訳されているおかげで、皆さん私を通じて、日本にとても関心を寄せてくれました。寮も楽しかったです。ルームメイトは2歳年上の中国人。とっても仲良くなり、2人でいろんなところに出かけましたよ!」
—お話聞いてると佐藤さん、鋼のメンタルのようにも聞こえますが、ご自身ではどうですか?
「笑 そうですか? 多分私は自分で自分をある程度分かった上で、不得意なことに首を突っ込まないんだと思います。だから突っ込んだ分野においては、受容力高め。人間関係においても苦手な相手はもちろんいますが、『こういう子もいるよね!』にとどめ、必要以上に関わらない。だから自分では運がいい!と思えるんですよ、笑」
—そんな鬼チャレンジャーな佐藤さん、大学を卒業したらどこへ?
「トランシルバニア大学に滞在中、自分の将来を色々考えたんです。その時にメキシコ人やイタリア人、韓国人のお友達が、『日本はなぜみんなで同じ髪型をして同じ服装をして就職活動するの?個性を消しちゃってるよね?』と訊いてきたんですね。確かにそう。
“就職”は、“何をやりたいか”ではなく“どう生きたいか”ですよね? そこで母に相談したら、『ワクワクすることをしなさい』と。父は私がどの就職先に決めても否定しないだろうという感触がありました。それで、一般的な会社説明会→就職試験というルートは避け、知り合いのつてから就職エージェントにアプローチしました。そこでLEDのメーカーと、ITエンジニアの道を模索してみたのですが、なんなんだろう、そこに自分の将来が見えなかった→未来を想像できなかったんです。
で。もう一度スタートラインに戻って熟考。『あれ?本来は私、おじいちゃんが見たのと同じ景色を見たかったんじゃなかったっけ?』『そうだ!私がめっちゃ大好きなケニア発のアパレルブランド“ラハ・ケニア”でもインターン募集してたじゃない!!』。このまま普通に日本の企業に就職するのは一つの道。でももう少し視点を変えたら、ワーホリに行ったのち、日本の企業に就職する道もある。さらにいえば。『インターンをやった後、就職したっていいわけじゃない?正直、失敗したって、何かは得られるわけだから』」
—そこですか、本家本元に戻ってきましたね。
「そうです。そんなこんなで、回り回って原点は、“アフリカでおじいちゃんが見た景色”。私はそれをケニアに見に行きます。やる前から無理だよというのはいや。家族も『旅行の目的地が一つ増えたぞ』と喜んでくれてますから、笑」
自分と対峙し、DNAの声に動かされた佐藤さんの仕事をめぐる深い旅。また近い将来、佐藤さんからアフリカでの仕事の様子をお聞きしたいと思います。